hekitter's log

エモいエンジニアが幸せ世界を目指します

心に一滴の武器を

この記事は#jobchaner 転職LT Advent Calendar 21日目の記事です(https://adventar.org/calendars/2934

※この物語はフィクションです。

とある文系卒未経験SE3年目。
そんな、迷いがちな多感な、海を漂うようなSEのお話。

未経験でもできるから、手に職が付けられるから、コンサルになれるから。
そんな言葉で、業界の門をたたいた。

初めてのプログラミングは2か月のJava研修だった。
理不尽な思いもしたが、それでもプログラミングは楽しかった。
確かに未経験でも、理系経験者に太刀打ちできるなという十分な実感があった。
「テクニカルリーダー」なんて肩書もいいかもしれない。そう思っていた。

そして配属、社外の常駐PJだった。
すぐにお仕事はもらえなかった。再び研修と称して、近い年の先輩からExcelサクラエディタの使い方の演習資料を投げられた。
どうやら「新人」を受け入れるのは初めてらしい。そこに居られることがうれしくって、すぐに演習を解いてしまった。

もっと先だと思っていたけど、お仕事ができた。テストだった。
画面のスクリーンショットを取ってExcelに貼りつけする。
データをExcelに貼りつけて、比較する。
お仕事ってこんなものなのか?比較の基準って?
ちょっとした失望だった。

そんなテストだけれど「炎上」していることはすぐわかった。
だから、無感情でひたすら数をこなした。
自分ではどうしようもならない「環境」「力」を感じながら、できることをやるしかなかった。
すぐに、未経験の年長協力会社の人の面倒を見るように言われた。
数をこなしていることを確認するというだけの「管理」だった。

「炎上」をひと段落させる救世主が現れた。
救世主は私に状況を整理すること、質の悪いそれを整理・修正して説明することを求めた。
やっとまともな人としゃべれる。そんな気持ちだった。
その人の輝き、明るさがまぶしかった。
そして、どんな年長社員よりも「わたし」がもとめられていることがうれしかった。

だが、再び「炎上」した。
ここでは多くは語らない、本筋ではないから。
そんな状態でも明るい、苦労を見せない、その救世主が私を見た。
だから私も、あきらめなかった。いつ終えるとも知れない夜も乗り越えようと思った。
そして、一度目の限界が訪れた。それでも泣きながら言った。「この業界に、仕事に、あきらめたくないんです。」

奇跡的に期限通り無事納品された。
その場にはいることができなかった、一滴の寂しさがあった。
その後の物語はまた後日。

そして3年目。相変わらず開発現場にいない。
だが、転機はきた。
「あなたが、次の開発チームに呼ばれている。直ぐに欲しいといわれたが、でも今すぐには出せないと交渉した。あと半年の間に引継ぎをしてほしい。」
やっと私の力が認められたように思われた。お給料は上がらなくてもうれしかった。
半年は慣れた仕事とちょっとしたいつものような小炎上を繰り返して、次のためにどうしたものかと期待と不安半分だった。
結局、私が抜けることにもひと悶着もふた悶着もあったがこれも別の話。

そして、望まれてチームを異動した。
設計段階である。大量の協力会社のメンバー、古いメンバーは…1割?
私の「指揮下」にも1人の若い子。

開発ノウハウもない、私もわからない。 開発の環境は?設計って? どうしたらいいかわからなかった。

せいぜいできるのは愚直に運用で培ったスキルを発揮して解析すること。
そして、設計段階の打ち合わせの場に出て話すこと。
そして私は気づいてしまった。この世界がぬるま湯であると。
そして、このぬるま湯の中で煮あがった人ばかりに囲まれているということ。
家でパソコンを開かないエンジニアに価値はないということ。
技術革命、SE革命を訴えるのはただ一人、常駐先の「課長」のみ。
そして、このチームは3年は続く。これは見切り時かもしれない。自分の人生、なんとかしないといけない。

だから思い切って「外」に出た。
隣の芝は青かった。何かを知っているつもりだったけど、なにもしらなかった。
そして、案外「外」は優しい世界であることを知った。

「外」で何かできるかもしれない、『完全SIer脱出マニュアル』に出会った私はそう思って、 「カジュアル面談」に足を運んでみた。
たしかに、「技術」はない。だが私には「頭」と「心」がある。
「頭」をつかって「心」が共鳴すれば、なんとかなりそうな、きっともっと楽しい世界を作れそうな、現金な生活も助かりそうな、そんな空気を感じた。
楽しいは世界に満ちているんだなとワクワクした。
あとはもっと「心」が共鳴すれば、この流れに乗ればいけるかもしれない。
そして0から始めよう。そう思った。

そう思っていると、今のお仕事に無気力になった。今までの実績があるから、信用もされる。
でも、何をしてもイマイチ変わらない。なら…という気持ちだった。
誰もかれも自分のやり方に固執している。
やはりここはぬるま湯ならぬ、炎上しかかったぬるま油か。

そんな最中、噂の「嵐」はやってきた。「課長」の昔の相方、伝説の人だそうな。
最初は口だけかと思っていた。
正直、そんな一人や二人で変わるはずがない、船頭が増えるだけだと諦めていた。
だがある日、その「嵐」に一人呼ばれた。
「この非効率な現場を根本から変える、勉強からしよう、業務の棚卸もする、面倒なことは全部自動化して品質も上げる、そのためのプロも自分の右腕も呼んでくるし、メモリを積めるだけ積んだマシンも調達する」
「そんな現場を何個も渡り歩いてきた。ドラッカーを体現したい。だからここでもやりきる。」
「とにかく段取り、段取り力を鍛えろ」
「ここにはマネジメントはない。本当のマネジメントを教えられる」 「この1年で業務の勉強、Linuxの勉強、Javaの勉強、Redmineの運用改善etc、いろいろやれると思うとワクワクする。実務ノウハウを提供できるように準備している。ほんとは自分のPythonの勉強したかったんやけどな」
「3年くらいしたらクラウドもやろう、そういう提言もできると思う」
「だから俺の目になってほしい、他の人は目の前で手いっぱいだ。君なら想像を超えたことができるはずだ」

久しぶりに心が震えた。 そこらへんの、なんちゃってダメ出しと根性論が得意なPMとは明らかに場数も考えも違った。
仕事哲学と方法論を持つ人を初めて「目の前」で見られたように思えた。
何故、彼がその漂流の生き方でここまでできるかは分からない。
その生き方をしながらも、それだけの人脈も持っているように感じた。
もし本当に「本物」なら天の采配としか思えなかった。

でも、、、
悩みは尽きない。あくまで常駐先の1メンバでしかない。
「本質的」に自分の人生の船とPJの船の行き先が一致しているわけではない。
現実の年齢も考える。今までの人生の負債もある。自分が自社の「便利屋」として扱われる限り、こだわる必要のある船でないのは確かだ。
それでも、やっとマイナスを0にする作業じゃなくて、自分の枠でもがき苦しむだけじゃなくて、自分の武器をつかめるかもしれない。
そして今ここでは「武器」だけれど、それは世間的にみたら「幸せ」を作れる可能性を秘めているかもしれない。
今持っている信用力を生かす場がきたのかもしれない。
本当に価値があることかはまだ分からない。「かもしれない」だらけだ。

だから、私は常駐世界を「越境」する。いざという時の「退職願」を心に秘めながら、ロジカルに無茶を押し通すしかない。
私は草鞋をたくさん履けるほど器用ではない。自分で武器を研ぐ方法を覚えよう。 自分で舟のこぎ方を覚えよう。
でもこの世界の優しさに助けられて、きっとこれからみんなを幸せにしていく。

そんな話、あるわけないですよ…?

転職とは

私にとって転職とは、この歌詞のことかもしれない。

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

中島みゆき 『宙船』より